2010年12月17日(金)
今年もあと残り少なくなりました。僕は「忙しい」という言葉が大嫌いですが、残念ながら今年は忙しい年でした。それは量で、というより初めてのことばかりだったので、質で忙しかったのかなと思います。今年の初め、名古屋大学での就職指導の仕事が決まったとき、娘の那奈が「パパも那奈も踏ん張り時だね」と言ったのが強烈な印象でした。那奈も勤めている店舗の責任者になれるかもしれない年でした。人間はたまには次のステップへ行くために、踏ん張る年もあるのかもしれないと感じ、「期限付き」で今年1年間は踏ん張ることにしました。具体的にいうと、来た仕事は全部受けました。その結果、初めてやる仕事ばかりになって精神的にはかなりのストレスでした。いえ、仕事の内容は全てやりがいのある楽しいことばかりです。ただ「初めて」ということで、精神的にはとても負担になってしまいました。大変でしたが、今年は僕の今までの心理学人生の総決算、そして次のステージが明確になった年だったと思います。いい年でした。でもこれも「期限付き」。あと2週間でその期限が切れます。来年からはまたゆったりとした毎日を過ごす予定です。「忙しい」は「心を亡ぼす」と書きます。心が亡びないようにして、新しい年を迎えたいものです。
2010年12月 5日(日)
母方の祖母が息を引き取りました。明治38年生まれで、享年106歳でした。多分、春日井市では最高齢だったんじゃないかと思います。僕の書斎には、祖父母の写真が飾ってあります。あまり社会的に成功したとはいえなかったと思いますが、とても優しい祖父母でした。亡くなってみて、ふと僕は祖父母から何をもらったのだろうという思いが頭をよぎり、そしてすぐにその答えがわかりました。それは人間としての「品格」です。財産や地位や名誉なんかより大切なもの、それが人間としての品格だとわかったのは中年にさしかかったころでしたが、それを言葉ではなく自分たちの生き方で示してくれたのが祖父母でした。数年前、まだ祖母が元気だったころ、1年間月に1~2度会いに行ったことがありますが、少し認知症が入っていたために僕のことはわかっても話の内容が随分辻褄の合わないことばかりでした。そしてほとんどの場合、その話はお金の心配事でした。波乱万丈の106年間、きっとお金の心配事が多かったのでしょう。でも僕が大学生のころに遊びに行くと、いつもおいしいすき焼きをご馳走してくれた祖母。やっとこの世の心配事から開放されて、観音様の懐に抱かれていることでしょう。南無観世音菩薩!!
2010年11月26日(金)
裁判員制度が発足して、判決内容が毎日のように新聞に載るようになりました。最初は、「もし抽選で当たっちゃったら、めんどくさいな。でも一度くらいは裁判官もやってみてもいいかも。」くらいな気持ちでした。僕もまるで勉強しなかったとはいえ、一応法学部の出身です。社会に出てから自分の会社のことや身内のことで、三度ほど裁判の当事者(原告側ですが)になったことがあり、一度は法廷で証人尋問を受けたこともありますが、裁判員となると全然別物でしょうね。ところが、窃盗程度の裁判の有罪無罪を決める程度のことだと思っていたら、なんと死刑か無期懲役かを判断するケースばかりが目立ってきています。裁判員は僕も含めて素人なのでどうしても被害者側の感情に同情してしまいがちになるのを見越して、検察は死刑の求刑をしてくるのだと想像していますが、判決を下す時とその後の個人的な感情は想像するだけで恐ろしくなります。いかに被告が凶悪犯人だとしても、人の命の存続を自分が決めてしまったことに対する恐ろしさ!果たして誰が耐えうるでしょうか?罪状の判断が重過ぎると思うのは、僕だけでしょうか?死刑の判断を下した裁判員のその後の心のケアは、どうなるのでしょうか?人間が人間を裁くことの難しさ、ましてや命の存続を左右することが神ならない人間に許されるのか、日本人全員が考える時に来ているように思います。
2010年11月14日(日)
ミャンマーの民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんが7年半ぶりに自宅軟禁から解放されたという記事が、朝刊に載っていました。こういう記事を見るたびに、世界にはまだまだ力ずくで押さえられている人たちが大勢いるんだなぁ、という実感がわいてきます。というか、日本が「軍」というものを持たないので、どういう形にしろ力の影響をうけないという、世界では稀有の国なのかもしれません。最近、検察や警察での取調べでの行き過ぎが新聞沙汰になっていますが、ミャンマーではそれどころではなくてまだ2000人以上の政治犯が拘束されているとのことです。いや、もう密かに殺されているかもしれないという状況です。歴史が始まって以来、人間が人間を暴力で押さえ込んでき続けてきて、もしかすると歴史というのは拷問の記録かもしれないのに、何年たっても辞められないのは、人間はもともと残虐な生き物なのでしょうか?もしそうだとしても、残酷なことを頭で想像することと、実行することの間には随分と距離があるはずなのに、平気でその隔たりを乗り越えてしまうのは、人間というのは救いようのない生き物なのでしょうか?サン・チーさんはこれからも民主化へ向けて運動を続けていかれると思いますが、そしてそれは素晴らしい行為に違いないのですが、これから多くの血が流れ続けるのをもう見たくないという気持ちも、同時に抱いてしまいます。
2010年11月12日(金)
心理学の学会が福岡であったので、ついでに熊本まで足を伸ばしてきました。修学旅行では、阿蘇には行ったような記憶がありますが、熊本市内は初めてです。水前寺公園と熊本城を見学しましたが、熊本城は今まで見たどのお城よりもどっしりと落ち着いた風貌を持っていました。さすがに築城の天才、加藤清正が作っただけあります。敷地がすごく広いということも、当時と同じ様な景色を感じさせます。時間があったのでのんびりと散策していたら、3時間があっという間にたってしまいました。夜は今回の旅行で一番楽しみにしていた、馬刺しを食べに行きました。名古屋にも熊本出身の方がやっていた馬刺し専門店があったのですが、残念ながらやめてしまわれました。そこの馬刺しが凄くおいしくて、種類も沢山あるのに感激してすぐに馬刺しファンになってしまいました。それ以来なかなか本物の馬刺しに会えなかったのですが、さすがは本場!文句のつけようがないほどおいしかったです。ただ残念ながら、福岡でも熊本でもラーメンがことごとくはずれてしまって、多分おいしいラーメン店はあるのでしょうが、これはちょっとがっかりでした。食欲の秋、旅行をしながら地元のおいしいお店を探すのはとても楽しいものですね。特に大当たりのお店を見つけたときは、なおさらです。名古屋にもまだまだ知らない名店があるのでしょう。見つけに行くから待っててね!!
2010年10月31日(日)
学園祭のシーズンがやってきました。心配された台風14号も、少なくとも愛知県はあまり影響はなく、でも南山大学では前日30日の準備は中止になって、今日から始まる大学祭の準備は当日早朝からです。僕の所属するサークル、「文学研究会」では10数年前から占いコーナーを設けています。最初になにかやろうか、と提案があったときにとにかく原価がかからずサークルの名前にふさわしいもの、という理由で占いに決めました。手相・占星術・タロット、そして僕も参加する姓名判断です。毎年夏休みが終わった頃から、上級生が1年生にやり方を教えます。最初はぎこちない占い方ですが、さすがに3~4年生は毎年やっているだけあって堂に入ったものです。占いというのは、結局はトークのうまさにも関係してきます。凄く悪い運勢が出てしまったり、あまりよすぎる運勢が出てしまったときに、適当に手心を加えて(つまり言葉を変えて)アドバイスできる人がセンスのよい占い師となります。それには、毎年何人もののお客様を相手にして、経験を積まなければなかなか上手になれません。毎年最終日の11月3日には、1日中姓名判断をやっています。相手は学生がほとんどなので、たまに人生相談になることもあります。さて今年は、どんな人生を垣間見れるでしょうかね。
2010年10月22日(金)
今年は記録的な猛暑のため、食べ物の価格の変動が激しいようです。当初物凄い高値が予想されていた松茸が、逆に記録的な豊作でとても安くなっているようです。でもいくら安値でも、国産の松茸はまだまだそう簡単に食卓に並べられなく、やっぱり外国産のものがお手ごろのようです。カナダ産やアメリカ産の松茸だと、中くらいのものが3本で1500~2000円で買えます。日本人はあの香りがたまらなく好きですが、外国の方は「はきふるした靴下の臭い」みたいだとおっしゃいます。まあ、日本人がトリュフに対してあまり関心がないのと同じようなものでしょうかね。昨日はかみさんがクライマックスシリーズで名古屋ドームに応援に行ったので、一人すき焼をしました。松茸・絹漉豆腐・葱・牛肉というシンプルな、すき焼きと言うより「味醂焼き」を楽しみました。醤油・味醂・砂糖に少量の水というかなり濃い味付けです。牛肉は一人なので贅沢をして、100g1300円くらいのを200g用意して、中日vs巨人を楽しみました。さすがに外国産松茸は香りはほんのりとしかしませんが、歯ごたえは充分に堪能しました。気温も少しづつ涼しくなってきたし、秋本番というところでしょうか。かみさんは、クライマックスシリーズで、まだまだ熱く燃えていますがね。
2010年10月 7日(木)
またまた化学賞に日本人が、しかも2名も受賞することが決まりました。ここのところ、物理学賞や化学賞での日本人の活躍が目立ちますね。内容については、理科系音痴の僕にはさっぱりですが、今日の日経新聞の春秋に、「研究の糸口を見つけるのに重要なのは勘であり、それを追求するためには研究に対する愛情が必要だ」ということが書いてありましたが、全くその通りだと思います。最近の日本人全体を見ると、このことが欠けてきているように感じます。すなわち、豊かな情緒と好きなことを追求する情熱。自分の感性を信じて生きる方向性を決めていくってことが、なくなってきたように思います。就職活動にしても婚活にしても、とにかく安全・安定を求めていく。別に悪いことではないのかもしれませんが、その先には希望や夢は見えるのでしょうか?経済や外交や政治など全てのことにおいて、日本そして日本人にはパワーがどんどんなくなってきているような気がします。動物的なパワーがなくなってくると、勘とか感性も薄くなってくる、つまり国全体の力もどんどん減少してしまう。こんな閉塞感の中で今回のそして最近のノーベル賞受賞は、大きな力を与えてくれそうです。いや、うちのかみさんならば、ドラゴンズの優勝の方がパワーを与えてくれたって言うでしょうがね。
2010年9月23日(木)
映画はあまり期待しすぎると、いい作品だけど思ったより・・・、ってことが意外とあるものですが、この映画は期待以上の出来栄えでした。なにに期待したかというと、まず僕が大好きなサンドラ・ブロックが主演で、しかもこの作品で彼女は今年のアカデミー主演女優賞を獲得したということです。特に「デンジャラス・ビューティ」と「28デイズ」がお気に入りです。次に実話を基にした映画で、アカデミーの作品賞にもノミネートされた作品だということ。そして僕が大好きなハッピーエンドで終わる映画だってこと。お涙頂戴の映画にはえてしてべたべた感じる作品が多いものですが、サンドラ・ブロックのあっさりした男っぽい演技がべたべたを感じさせずすっきりした仕上がりになっています。内容もただの出世物語ではなく、人間は一人だけでも自分を愛してくれる人がいれば、どんなに劣悪な環境に育っても自分の能力を伸ばせるものだなとつくづく考えさせられます。間違いなく今年見た映画の中では一押しの作品です。いい映画を見た後は、本当に気持ちがすっきりしますね。
2010年9月23日(木)
大阪地検特捜部の主任検事が、捜査資料を改ざんした事件が世の中を騒がせています。司法のあり方を根底から揺るがす、とんでもない事件であることは間違いありません。この事件を知ったときに思い出したのは、「人のふり見て我がふり直せ」ということわざでした。この事件は、いわば結論ありき、すなわち村木局長が犯人であるという思い込みから逆算していくと、フロッピーの日付がこの日でなければおかしい、じゃ直しておこう、という思考だったと思います。僕たちカウンセラーも、それぞれ自分の得意とする分野を持っていますが、その理論に当てはまらないクライエントさんが来室されるとついつい「このクライエントさんはおかしい」と思いがちです。例えば異常な行動の根底には、必ず幼児期のトラウマが関係している「はずだ」とか、家族関係にひずみがある「はずだ」とか・・・。クライエントさんをついつい理論に当てはめようとしてしまうことがありはしないか、そんな考えが浮かんできてぞっとしました。事件を起こした主任検事は、かなりの「やり手」だったということですが、やり手であればあるほど自信過剰になり、その結果自分が正しくて相手が間違っている、と考えがちになってしまうのでしょうね。あ、考えてみれば、僕は「やり手」でも「自信家」でもないから、こんな間違いを犯すはずはないのか・・・。
